史跡

京都の史跡

  京 都 の 史 跡



京都の史跡は、平安遷都以前の史跡、遷都後の1200年にわたっての
史跡など数多くの史跡が残っています。その中でも特に有名な
史跡を案内していきます




■二条城
1603年(慶長8年)京都所司代の板倉勝重が創建した史跡で
徳川家康の京都の守護と上洛の際の宿所として利用されまた。


東西500メートル南北400メートルの周囲に堀をめぐらしています
二条城の史跡は外観は城郭らしい厳しい威風を示していますが
場内は二の丸御殿と西寄りの本丸御殿の二つに大別され
外観とはうって変わってきらびやかな雰囲気になっています

二の丸御殿は国宝に指定されています。
本丸御殿、二の丸御殿、城門などは重要文化財に
二の丸庭園は国の特別名勝に指定されていて
二条城の史跡は世界文化遺産に登録されています

1867年(慶応3年)15代将軍慶喜の大政奉還の上表がここで行なわれ
徳川幕府の終幕の舞台にもなっています。



■京都御所



京都の中央部のやや北寄りに位置し、面積約11万平方メートルの南北に長い
長方形の史跡です。正殿である「紫宸殿」は敷地の南側にある建礼門の正面に
南向きに建っています。

「紫宸殿」の西北に清涼殿、東北に小御所、御学問所、常御殿などが続いて
「清涼殿」は、天皇の日常の生活の場としての住居でした。

正殿の「紫宸殿」は、即位の礼など重要な儀式が行なわれるところです。
現在は京都御所を宮内庁が、国民の公園としての京都御苑を環境省が管理しています



■蛤御門

京都御所の七つある門のひとつで、常に閉ざされていましたが
1788年の天明の大火で初めて門が開かれたことから
「焼けて口を開く」蛤に似ているとして、蛤御門と名付けられました。

1864年(元治元年)7月の長州軍と幕府軍の最大の激戦地で
史跡には多くの刀傷や弾痕が残っています。



■修学院離宮
        
三つの、茶屋と呼ばれる庭園からなっていて、各茶屋の間を田畑が広がり
細い松並木の道で結んでいます。

(見学は往復はがきなどでの事前予約が必要です)



■寺田屋



1862年(文久2年)10数名の薩摩藩の藩士が同じ薩摩藩の藩士に襲撃された
「寺田屋騒動」や1866年(慶応2年)の坂本竜馬襲撃事件で有名です


当時は大阪・京都の間の三十石船の船宿として活躍していました
今も旅館として営業しています。

生々しい弾痕や刀の傷、竜馬が近江屋で殺害される直前まで定宿として使っていた
部屋などが史跡として保存されています。



■琵琶湖疏水
東京遷都によって衰退が著しかった京都の復興をはかるため
当時京都府の知事であった北垣国道が、大阪方面への運河として
また水力発電や灌漑・防火などに利用する目的で東京帝大の学生であった
田邊朔郎の設計で滋賀県大津市の琵琶湖から京都の伏見までの疏水を建設しました。

京都側の蹴上には舟を滋賀県側に引っ張り上げる
インクラインが今もその姿をとどめています



南禅寺境内に建築された水路閣は古代ローマの
水道橋を参考に建築されました。国の指定史跡となっています。





■その他
長州藩士らが新撰組に襲われた池田屋騒動の跡

坂本龍馬、中岡慎太郎が暗殺された近江屋の跡、

幕府と薩長との鳥羽・伏見の戦いの跡など

維新に関わった人物や戦いの跡などの史跡が数多く残っています。






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