浄土宗 |
|
浄土宗の寺院 |
|
|
京都の浄土宗の寺院
|
|
浄土宗は平安時代末期に比叡山で修行した法然が教えを説いた宗派の一つです 智恩院、清浄華院、知恩寺、金戒光明寺が浄土宗の4つの本山になっています 「ひたすらに"無阿弥陀仏"と念仏を唱えることによって 万人が極楽浄土に往生できる」 と説いているのが浄土宗の教えです ■智恩院 法然が比叡山から下山し、東山の山麓「吉水」に結んだ草庵が始まりで 1175年(安元元年)に開山した浄土宗の総本山です ![]() 徳川家康の寺領寄進などで整備され 1619年(元和5年)後陽成天皇の皇子が入寺して門跡寺院になりました。 1633年(寛永10年)の火災で、建物の殆どを焼失しましたが 徳川家光によって再建されました。 境内には、塔頭や三門、御影堂や当門、経蔵など大小106の建造物があります 三門は、現存する二階建ての二重門では日本で最大の規模です。 大鐘楼に架かる銅鐘も、方広寺や奈良の東大寺の鐘と同じ 約70トンある大鐘です 法然上人が祀ってある御影堂は国宝になっています ■百万遍智恩寺 法然の弟子の源智が功徳院智恩寺を建て念仏道場としました 1331年(元弘元年)京都に疫病が大流行し多くの死者を出しました そのとき、この寺の八世善阿空円が念仏を百万遍唱えたところ たちまち疫病が終息し庶民から大変喜ばれ、後醍醐天皇から 百万遍の号を賜り、寺名を百万遍智恩寺にしたといわれています 毎月15日、御影堂にある320キロもある大きな念珠を 念仏を唱えながら回す「大念珠くり」という行事が行なわれます ■金戒光明寺(通称黒谷) ![]() 法然が、師である叡空から白川禅房を譲られ、念仏の道場にしたのが始まりです 比叡山の黒谷で修行したことにちなみ、新黒谷と名付けました 後に庶民から「黒谷さん」と親しみを込めて呼ばれるようになりました 元は光明寺という寺名でしたが、後光厳天皇から金戒という二文字を賜り 金戒光明寺と改めました 文殊菩薩像は運慶の作といわれ、日本の三文殊に数えられています ■清浄華院 寺町通り広小路にある寺院で、後白河法皇や、高倉天皇が法然に帰依し 開山したことから、浄土宗の寺院になりました また、かって宮中に置かれたことから、皇室との関係が深く 本尊の法然上人御影像の他、清和天皇、村上天皇の位牌があります ■法然院 左京区の鹿ヶ谷にある浄土宗の寺院で、法然上人の木像を安置しています。 椿の名所として有名で、谷崎潤一郎や河上肇など著名人の墓が多くあります。 ■直指庵(じきしあん) 嵯峨野の大覚寺の北に、孟宗竹に囲まれてひっそりと佇む庵寺で 悩みを持つ女性たちの駆け込み寺として有名です。 ■清凉寺 嵐山の北、北嵯峨にあって、仁王門、本堂などの大堂がある寺院です。 一般に「嵯峨釈迦堂」という名前で親しまれています。 国宝の木像釈迦如来立像の他、多数の重要文化財を所蔵しています。 ■化野念仏寺(あだしのねんぶつじ) 北嵯峨の二尊院から念仏寺にかけての化野と呼ばれる一帯は 昔死者を風葬したところと言われています。弘法大師が死者を 弔うため寺院を建立しました。 後に法然上人が念仏道場を開き、念仏寺と称するようになりました。 境内は無数の小さな石塔や石仏で埋まっています。 ![]() ■その他の浄土宗の有名な寺院では 阿弥陀寺・地蔵院・安楽寺・滝口寺・仲源寺 矢田寺・光明寺・願行寺などが有名です |
|
| 京都観光の案内の ページ 〜TOP 明治維新後の京都 京都の史跡 京都の天台宗の寺院 京都の真言宗の寺院 京都の臨済宗の寺院 京都の浄土宗の寺院 京都の浄土真宗の寺院 京都のその他有名寺院 京都の神社 京都の建築様式 京都の庭園 京都の美術 京都の工芸 京都の花街 京都の祭り 京都の料理と行事 京都の伝統野菜 京都の地名と通り名 京都の方言、京ことば 京都のことわざ 京都のならわし、風習 |
| 京都観光 京都の浄土宗の寺院 |