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■平安時代の美術
平安遷都後には、東寺の「真言七祖像」や神護寺の
「高尾曼荼羅」など、密教の諸仏の像や曼荼羅を中心に
制作されました。
曼荼羅(まんだら)とは諸仏・菩薩および神々を網羅して
描かれた図のことです
また、平等院鳳凰堂の「九品来迎図」
青蓮院の「不動明王二童子像」(青不動)などは
藤原氏の摂関政治の最盛期の美術作品です。
平安末期から鎌倉時代初期にかけての美術では
様々な伝説や言い伝えを参考にした説話的な絵巻が多く
描かれている一方で、猿や蛙を人間に見立てて描かれた
「鳥獣人物戯画」などもあります。

彫刻では、木彫りの仏像が中心になっていきました。
神護寺の「薬師如来像」は平安時代の初期に彫られた
一木造の仏像であり、六原蜜寺の「薬師如来坐像」は
二本の木からなる寄木造です。
密教彫刻が盛んになり、東寺の諸仏や有名な神護寺の
「五大虚空菩薩像」などが次々と製作されていきました。
■鎌倉、室町時代の美術
この時代の代表的な作品には、阿弥陀如来が死者を
極楽浄土へと迎えにくる来迎図が多く、禅林寺の
「山越阿弥陀図」、智恩院の「阿弥陀二十五菩薩来迎図」
などが有名です。
また、肖像画では、神護寺の「伝源頼朝像」「伝平重盛像」
「伝藤原満能像」、西本願寺の「親鸞上人像」など
天皇、貴族、将軍など実在する人物の肖像画などが
代表的な作品です
源頼朝像 平重盛像
水墨画では東福寺の明兆の作品「五百羅漢図」
そして雪舟が宗や元の様式を脱して、雄大で写実的な
山水画を残していきました。晩年に描いた「天橋立図」は
雪舟の集大成といえます。
彫刻では、焼失した蓮華王院(三十三間堂)の再興に
運慶の長男である湛慶が中心的な役割を担いました。
本尊の千手観音坐像の他、数体の観音像は湛慶の
作品です。
他に、快慶作で随身院の金剛薩堪坐像、運慶の四男
康勝作で、六波羅蜜寺の空也上人像などの作品が
あります。
■安土桃山時代の美術
この時代には、狩野派の絵師たちによる壁や襖などに
描く障壁画、屏風に描く洛中洛外図、名所や四季などの
風俗画が多くなってきました。
狩野派は雪舟の後に出た水墨画家、狩野正信を祖とした
水墨画の流派です、明治時代に至るまでわが国の絵画の
中心的存在でした。
信長や秀吉に仕えた狩野永徳は安土城や大阪城
聚楽第などの障壁画を数多く描きましたが、その多くは
残念ながら失われてしまいました。
今残っている有名な作品では、寂光院の方丈の
襖絵「花鳥図」や米沢市が保存している「洛中洛外図」が
あります。
■江戸時代の美術
江戸時代には尾形光琳が活躍し「燕子花(かきつばた)図屏風」
「紅白梅図屏風」などの作品を発表しています。

紅白梅図屏風
工芸では、本阿弥光悦が独自の、光悦蒔絵という
手法を生み出した舟橋蒔絵硯箱」「葦舟蒔絵硯箱」などの
作品を残しています。
蒔絵(まきえ)とは、漆工芸の手法で、漆で模様を描き
金、銀、錫などの金属を付着させたものです。
陶芸では、千利休のわび茶の精神から、陶工の長次郎が
楽焼が作り出します。
その他、京焼色絵陶器や絵付け模様に特色を出した
京焼き陶器などが製作されていきました。
清水焼で有名な陶器や漆器は、江戸時代清水六兵衛など
京焼きの一派が、五条坂付近一帯で広めていきました。
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