花街 京都の花街
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京 都 の 花 街


京都の花街は、1589年(天正17年)
島原に初めて公の廓がおかれたのが
京都の花街の歴史の始まりです。



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現在の京都の花街は、祇園甲部・祇園東部・宮川町
先斗町・上七軒の五つの花街がありそれぞれが
賑わっています。


♪月はおぼろに東山 霞(かす)む
   夜毎のかがり火に♪夢もいざよう
    紅桜 しのぶ思いを振袖(ふりそでに)
      祇園恋しや だらりの帯よ♪  

                     
     


祇園甲部の花街

元は、八坂神社の門前町として、参拝客に
お茶と団子でもてなす茶屋が発祥です。
団子に見立てて八つの丸をつないだ円を描き
真ん中に「甲」の文字を描いた紋を用いています。


祇園甲部歌舞練場は明治6年に「都をどり」の
舞台として建設されて以来毎年「都をどり」が
開催されています。




祇園東部の花街

明治時代祇園甲部から独立して以来、祇園乙部という
名称で呼ばれて来ましたが、昭和30年に祇園東部と
改正されました。

祇園甲部と同じつなぎ団子で真ん中に甲という字が無い
紋を使用しています。





宮川町の花街

宮川の名前の由来は、毎年祇園杜のみこし洗いが
この地の川筋で行われることから
宮川町と言う名前がつけられました。

川端通りと四条通りの交差した角にある南座から南へ
松原付近までの鴨川の東側一帯が花街になっていて
三つの輪が紋になっています。



先斗町の花街

先斗(ぽんと)の意味は
ポルトガル語でポント(先という意)に
由来するとされています。

1668年(寛文年)鴨川の大規模な改修によって
出来た川沿いの道に、茶屋や旅籠が軒を連ねて
建造され花街になったものです。

紋は鴨川の冬の鳥「ちどり」をあしらっています。
毎年5月には先斗町歌舞練場で「鴨川をどり」が
披露されます。

また春から夏にかけて鴨川にせり出して作られた
「納涼床」も風情があって京都の夏の風物詩に
なっています。



上七軒の花街

上七軒の花街は京都で最も古くにできた花街で
室町時代に焼失した北野天満宮の再建の為に
使用した廃材で、7軒の茶屋が建てられたのが
始まりといわれています。

名物のみたらし団子は、上七軒の花街の紋に
なっています。
毎年4月に「北野をどり」が、上七軒の歌舞練場で
行なわれます。

また夏のシーズンにはビア-ガーデンが開かれ
舞妓さんがビールを注いでくれたりします



※日本最初の遊郭として賑わった「島原」は衰退して
現在は輪違屋という置屋が1件だけ営業していて
日本で唯一太夫を置いています。
また、有名な角屋は文化美術館として一般に公開されて
います。





※各花街の芸舞妓になるには中学や高校を卒業して
すぐに、全員がお茶屋や置屋に住み込み、「おちょぼ」と
呼ばれる見習期間に、厳しいしつけと芸事の教育を受け
しきたりを覚えて1年ほどで舞妓になります。
一人前になるまでは給料はありません

※舞妓として始めてお座敷に出るお披露目を「店だし」と
言い、見習の舞妓は「半だらり」という短い帯の締め方を
します。

※多くの舞妓は20歳を過ぎた頃には舞妓を卒業して
芸妓として一本たちします。このとき着物の半襟が
赤から白に変わることから「襟替え」といいます

※祇園には明治初期から芸舞妓が歌や舞、音曲、茶道
生け花などを習う学校「女紅場学園」という学校があります。

注・男衆(おとこし)芸舞妓の着付けをする人 
            祇園では男性が行なっている
  太鼓もち・・・・お座敷を芸で盛り上げる役者




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