スポンサードリンク
|
|
現在の京都の花街は、祇園甲部・祇園東部・宮川町
先斗町・上七軒の五つの花街がありそれぞれが
賑わっています。
 |
♪月はおぼろに東山 霞(かす)む
夜毎のかがり火に♪夢もいざよう
紅桜 しのぶ思いを振袖(ふりそでに)
祇園恋しや だらりの帯よ♪
|
 |
■祇園甲部の花街
元は、八坂神社の門前町として、参拝客に
お茶と団子でもてなす茶屋が発祥です。
団子に見立てて八つの丸をつないだ円を描き
真ん中に「甲」の文字を描いた紋を用いています。
祇園甲部歌舞練場は明治6年に「都をどり」の
舞台として建設されて以来毎年「都をどり」が
開催されています。

■祇園東部の花街
明治時代祇園甲部から独立して以来、祇園乙部という
名称で呼ばれて来ましたが、昭和30年に祇園東部と
改正されました。
祇園甲部と同じつなぎ団子で真ん中に甲という字が無い
紋を使用しています。
橋
■宮川町の花街
宮川の名前の由来は、毎年祇園杜のみこし洗いが
この地の川筋で行われることから
宮川町と言う名前がつけられました。
川端通りと四条通りの交差した角にある南座から南へ
松原付近までの鴨川の東側一帯が花街になっていて
三つの輪が紋になっています。
■先斗町の花街
先斗(ぽんと)の意味は
ポルトガル語でポント(先という意)に
由来するとされています。 |
 |
1668年(寛文年)鴨川の大規模な改修によって
出来た川沿いの道に、茶屋や旅籠が軒を連ねて
建造され花街になったものです。
紋は鴨川の冬の鳥「ちどり」をあしらっています。
毎年5月には先斗町歌舞練場で「鴨川をどり」が
披露されます。
また春から夏にかけて鴨川にせり出して作られた
「納涼床」も風情があって京都の夏の風物詩に
なっています。
■上七軒の花街
上七軒の花街は京都で最も古くにできた花街で
室町時代に焼失した北野天満宮の再建の為に
使用した廃材で、7軒の茶屋が建てられたのが
始まりといわれています。
名物のみたらし団子は、上七軒の花街の紋に
なっています。
毎年4月に「北野をどり」が、上七軒の歌舞練場で
行なわれます。
また夏のシーズンにはビア-ガーデンが開かれ
舞妓さんがビールを注いでくれたりします
※日本最初の遊郭として賑わった「島原」は衰退して
現在は輪違屋という置屋が1件だけ営業していて
日本で唯一太夫を置いています。
また、有名な角屋は文化美術館として一般に公開されて
います。

※各花街の芸舞妓になるには中学や高校を卒業して
すぐに、全員がお茶屋や置屋に住み込み、「おちょぼ」と
呼ばれる見習期間に、厳しいしつけと芸事の教育を受け
しきたりを覚えて1年ほどで舞妓になります。
一人前になるまでは給料はありません
※舞妓として始めてお座敷に出るお披露目を「店だし」と
言い、見習の舞妓は「半だらり」という短い帯の締め方を
します。
※多くの舞妓は20歳を過ぎた頃には舞妓を卒業して
芸妓として一本たちします。このとき着物の半襟が
赤から白に変わることから「襟替え」といいます
※祇園には明治初期から芸舞妓が歌や舞、音曲、茶道
生け花などを習う学校「女紅場学園」という学校があります。
注・男衆(おとこし)芸舞妓の着付けをする人
祇園では男性が行なっている
太鼓もち・・・・お座敷を芸で盛り上げる役者
|