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■「葵祭り
上賀茂神社と、下鴨神社の祭礼です。
凶作により飢餓や疫病が大流行し、その原因が
賀茂の神の祟りにあるという占い師の進言により
当時の欽明天皇が五穀豊穣を祈願する祭礼を
行なったのが最初といわれています。
葵祭りの最大の行事は、毎年5月15日に都大路を
行列が練り歩く「路頭の儀」です。

午前に斎王代や天皇の勅使を中心にして、従者や
検非遺使、役人、牛車や女官など総勢500人あまりの
行列が京都御所の建礼門を出発し下鴨神社に向かいます。
下鴨神社では社頭の儀という神事が行なわれます。
午後からは、祭りの行列は再び列を組んで上賀茂神社に
向かいます。そして到着後ここでも社頭の儀が行なわれ
「路頭の儀」は終了します。
斎王とは、天皇の即位の時に伊勢神宮や賀茂神社に
奉仕をする皇女のことで、その代理を務める人のことを
斎王代と呼び、現在では京都在住の一般の女性が
務めています。

■「祇園祭」
東京の神田祭、大阪の天神祭りとともに、日本三大祭の
一つです。
平安遷都後の869年(貞観11年)全国に疫病が大流行し
その原因が八坂神社の祟りだとして、八坂神社の宮司らが
全国の国数に準じ鉾66本をたて、洛中の男たちが鉾をを奉じて
疫病退散の祈願をしました。これが今の祇園祭の原点だと
されています。
毎年7月17日に祇園祭の中心である山鉾の巡行が行なわれます

その前後一ヶ月間が祇園祭の期間で、その期間中に
八坂神社を中心に様々の神事や行事が行われます。
山鉾のうち最大の鉾は重量が約12トン、鉾の高さが
25メートルあり、その鉾を引っ張るために、30人〜40人の
曳子と呼ばれる人が必要です。
鉾の上では20〜30人の浴衣姿の男の囃し方が
鉦や太鼓、笛を奏します。
鉾や山の数は現在32基あり、巡行する順番は毎年抽選で
決められますが、そのうちの6基は毎年抽選無しで順番が
決まっています。
毎年先頭を行くのは鉾の先に長刀を飾った最大級の鉾
長刀鉾で、圧巻は、出発地の四条通り麩屋町で、鉾に乗った
稚児が前方を遮るしめ縄を日本刀で切り、巡行が始まります。
■「時代祭り」
時代祭りは、桓武天皇が794年都を平安京に移されたの
を記念して毎年10月22日に行なわれる平安神宮の祭礼です。
その最大の行事は、各時代の風俗行列です。
1895年(明治28年)に平安遷都1100年を記念して
平安神宮が創建され、そのお祝いの行事として、平安時代から
明治時代に至るまでの
風俗の行列を企画したのが始まりです。

行列は、京都御所の建礼門を正午に出発し、平安神宮までの
4キロ半を練り歩きます。先頭は明治維新時代の勤王隊列に
始まり、平安時代初期の延暦年間の風俗へとさかのぼって
いきます。参加人数約2000人、牛馬70頭余り、行列の長さは
2キロメートルにもなります。
■その他の有名な祭りや行事
◇「鞍馬の火祭」

鞍馬山の由岐神社の例祭です。
毎年10月22日の時代祭りの夜に、各戸に篝火が灯され
大小の松明を担いだ青年らが太鼓を打ち鳴らしながら街道を
練り歩きます。
◇「曲水の宴」
市内の南、城南宮の神苑内の曲がりくねった小川で
行なわれる神事で、複数の平安貴族に扮した十二単の
女性や烏帽子の男性が小川の岸辺に座り、川上から
流れてくる盃が自分のところに着くまでに和歌を読み
短冊にしたためるという一種の遊びです。
平安時代の優雅な貴族の文化を今に伝える行事です。
◇「三船祭り」
嵐山の近くの車折神社の例祭です。
白川天皇が行幸のおりに、和歌や漢詩、奏楽に長じた者を
3隻の船に乗せ、舟遊びをされたことから
後に三船祭りとして定着していきました。
嵐山の渡月橋上流で、御座船を先頭に20隻ほどの
船の上で優雅な舞や奏楽を奏で、舞妓さんや芸子さんの
「扇流し」が繰り広げられます。
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