祭り

京都の祭り

 京 都 の 祭 り




京都の祭りには、全国的に知られている春の「葵祭り」夏の「祇園祭り」
そして秋の「時代祭り」の三大祭りが代表格です。毎年三つの祭りとも
大勢の見物客で賑わいます。


■「葵祭り

上賀茂神社と、下鴨神社の祭礼です。
凶作により飢餓や疫病が大流行し、その原因が賀茂の神の祟りにあるという
占い師の進言により、当時の欽明天皇(539~571年) が五穀豊穣を祈願する
祭礼を行なったのが最初といわれています。

葵祭りの最大の行事は、毎年5月15日に都大路を行列が練り歩く
「路頭の儀」です。



午前に斎王代や天皇の勅使を中心にして、従者や検非遺使、役人、牛車や女官など
総勢500人あまりの行列が京都御所の建礼門を出発し
下鴨神社に向かいます。下鴨神社では社頭の儀という神事が行なわれます。

午後からは、祭りの行列は再び列を組んで上賀茂神社に向かいます。
そして到着後ここでも社頭の儀が行なわれ、「路頭の儀」は終了します。

斎王とは、天皇の即位の時に伊勢神宮や賀茂神社に
奉仕をする皇女のことで、その代理を務める人のことを斎王代と呼んでいます
現在では京都在住の一般の女性が務めています。






■「祇園祭

東京の神田祭、大阪の天神祭りとともに、日本三大祭の一つです。

平安遷都後の869年(貞観11年)全国に疫病が大流行しました。
その原因が八坂神社の祟りだとして、八坂神社の宮司らが全国の国数に
準じ鉾66本をたて、洛中の男たちが御輿を奉じて疫病退散の祈願をしました
これが今の祇園祭の原点だとされています。

毎年7月17日に祇園祭の中心である山鉾の巡行が行なわれます



その前後一ヶ月間が祇園祭の期間で、その期間中に
八坂神社を中心に様々の神事や行事が行われます。

山鉾のうち最大の鉾は重量が約12トン、鉾の高さが25メートルあり
その鉾を引っ張るために、30人〜40人曳子と呼ばれる人が必要です。

鉾の上では20〜30人の浴衣姿の男の囃し方が「コンコンチキチン」という俗称で知られる
鉦や太鼓、笛を奏します。

鉾や山の数は現在32基あり、巡行する順番は毎年抽選で決められますが、
そのうちの6基は毎年抽選無しで順番が決まっています。

毎年先頭を行くのは鉾の先に長刀を飾った最大級の鉾、長刀鉾で、
圧巻は、出発地の四条通り麩屋町で、鉾に乗った稚児が前方を遮るしめ縄(注連縄)を
日本刀で切り、巡行が始まります。



■「時代祭り」

時代祭りは、桓武天皇が794年都を平安京に移されたのを記念して
毎年10月22日に行なわれる平安神宮の祭礼です。

その最大の行事は、各時代の風俗行列です。
1895年(明治28年)に平安遷都1100年を記念して
平安神宮が創建され、そのお祝いの行事として、平安時代から明治時代に至るまでの
風俗の行列を企画したのが始まりです。



行列は、京都御所の建礼門を正午に出発し、平安神宮までの4キロ半を練り歩きます。
先頭は明治維新時代の勤王隊列に始まり、平安時代初期の延暦年間の
風俗へとさかのぼっていきます。
参加人数約2000人、牛馬70頭余り、行列の長さは2キロメートルにもなります。



その他の有名な祭りや行事

◇「鞍馬の火祭



鞍馬山の由岐神社の例祭です。
毎年10月22日の時代祭りの夜に、各戸に篝火が灯され、
大小の松明を担いだ青年らが太鼓を打ち鳴らしながら街道を練り歩きます。


◇「曲水の宴」

市内の南、城南宮の神苑内の曲がりくねった小川で行なわれる神事で
複数の平安貴族に扮した十二単の女性や烏帽子の男性が小川の岸辺に座り
川上から流れてくる盃が自分のところに着くまでに
和歌を読み短冊にしたためるという一種の遊びです。

平安時代の優雅な貴族の文化を今に伝える行事です。


◇「三船祭り

車折神社の例祭です。
白川天皇が行幸のおりに、和歌や漢詩、奏楽に長じた者を3隻の船に乗せ
舟遊びをされたことから、後に三船祭りとして定着していきました。

嵐山の渡月橋上流で、御座船を先頭に20隻ほどのふねの上で優雅な
舞や奏楽を奏で、舞妓さんや芸子さんの「扇流し」が繰り広げられます。
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